KiLL MACers! 2001
 
01/01 /2001  
マッカー
   再
     会
の微笑 Y


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よいしょっと     
 悪いか? 生きてたんだよ。ぶははは。
 ご近所の皆さんにも「おお、あそこのあれが、またあれみたいだぜ」とお伝えください。なんてね。
 そりゃ、一年以上も休んでりゃ、終わったか死んだと思われても仕方のないところなんだが、実は過去にもへーちゃらで、すこーんと長期休暇をもらっていた「経歴」があるので、わかってるシトにはわかってもらえていると思う。希望的観測の親玉みたいな発言で申し訳ないが、そういうことだ。
 もう、かの「なくてもなくってもいいマシンとOSとそれを舐めるゲロども」に関して記述するのは、しんどいところもあるのだが、あの、すんだらぼけ「安いパンなら焼けます」マシンとか、バリバリあっぱらぱぁ「短足スルメ」板とか、そういうものを本気で使っているドグサレのーたりんが、この世で呼吸しているのかと思うと、涙をこぼさざるを得ない。うそだよ。たまぁに火の粉をかぶることもあるので、やっぱブチ殺しておかんとなあ、てな気持ちがほとんどである。弱り果てた連中の頭蓋骨に椅子を叩き込み、その脳髄が椅子のスチールにたらたらと流れ落ちるのを、かんらかんらと笑いながら眺めてやらんとなあ。やっぱ、そういうページだよ、ここは。
 おやすみもらってたのはねえ、別段、圧力とか自主規制とかトラブルとか、そんなんじゃないの。ごく個人的な「やりたかねえよ」モードで休んでただけのことです。そうこうするうちに、このページ界隈は「アンチマックの老舗」と成り果て(ぶあっはっは)、「マッカー」という用語も独り歩きをしている次第です。
 んなこたねえやね。わかってるシトはわかってると思うけどさ。
 
ふたつの方向     
 マウスってえのがあってねえ――けけけ、書きながら笑っちゃうな――マイクロソフトのマウスは現在、拡張政策を続け、車輪やら、どてっぱらボタンやら、付け放題である。なんてったって、この会社のすごいところは、ちょっと考えると「えええぇ、そんなのホントに必要なのぉ?」と言い出されかねない部分をばっすんばっすん展開し、その上で「ほら、コレなしの状態に今から帰れるゥ?」と言えることである。で、まあ、実際のところ、そうなっとるがな、状態である。対するに(わはは)、林檎屋がやったのは「マウスボタンを排除する」という、対極の、そして究極の「英断」であった。
 その潔さは、よしとしよう。んでもさあ、それは、ちょっと、笑えるぞ。
 いちいち、押すわけね? がひこんって。へへへ。そんで、ずるずる、押したまま引っ張るわけね? どんどろりーんと。そんで、ぱふっと放すのね? あはは。いやいや、んなもん知らんから、疑問形で書いてるんだけどね。うーーん、すごい。かくして「ネズミは動くボタンへと進化したのであった」。……ばっかじゃねえの。
 何が嫌いかと言って、ウルトラ劣悪なのは、あのうんこたれどもが、マウスでずるずるやりながら、同時に左手でキーボードを、はたはた押している姿である。特に多いのが「レンガの写真屋」を使う中指無しの腐れマッカーなんだが、あれをみっともないと思ったことはないのであろうか? 筐体やソフトの「姿かたちや見てくれ」とかには、がーすかぴーと低脳の発言を繰り返すくせして、効率的な操作環境を成立させる「姿かたちや見てくれ」に対しては、シナプスも爛れているらしい。
 あえて誤解されるのを承知で言うが、「効率」以外にコンピュータに必要とされるものは存在しないし、存在し得ない。さもなくば、それを電子計算機と呼ぶな。
 見てくれなんて、どうでもいいってことが、あの連中にはわからないらしい。おどれが考えてる「美しさ」なんぞ、印象批評以外の何モノでもないし、そんなものを必要とせざるを得ないような能力など、能力と呼ぶに値しないということを理解できないのだ。
 
ださいって言ってんだろうが、ぼけ   
 正直に言うけどさあ、腐れ林檎を舐めまわして使ってるてあいは、大体において、仕事が遅い。それでも出来がよけりゃあいい――なんてことは言わない。出来の良し悪しは、最終的に「それが何のために作られたものであるのか」に対する貢献指数として表現可能である。だから、遅けりゃダメだし、何より、くされゲットーみたいなシェアの、スカタン独自仕様は、始まりからペケなのである。
 わたしが、「ダサイ」と言っているときは、そのもののダサさはもちろんのこと、それを選択してしまったマッカーどものダサさを込みで「ダサイ」と言っているのだということは、すでにご承知のことと思う。
 すべては、選択の最初の段階で、既にして決定付けられている。
 この動かしがたい事実を(マッカーではない者も含めて)、多くは認めたがらない。
 いわく「選択の自由がなかった」とか「人的あるいは経済的問題があった」とか、そういうユルイ弁明を吐くマッカーがよくいる。そのような状況下に身を置いた段階で、「既にして決定」されているのである。
 たとえば、依然としてスカタンがはびこる「デザイナー」と呼ばれる人種分野がある。ここには、コケに手足が生えただけの(当然中指はありませんよ)マッカーが蔓延している。さすがに仕事にならない環境が増大し、「林檎だけじゃやってけねえだ」とまわりのマシンに手を出すが、既に手遅れである。中には「やっぱWindowsは使いにくい」などと、眼球の裏にタガメを4、5匹飼育しているのだろうと類推させるドグサレあっぱらぱーが発生したりもする。そんで、この連中が、よくほざくんだな。くだんの言い訳めいたセリフを。「学校で教えてくれたのがマックだった」とか「仕事場にこれしかなかった」とか「まわりの友だちがみんなマックだった」とか、そういううんこたれ発言を。ま、これは確実な表現だけど「デザインやってる」とおもってけつかるボケは、ヒャッパーでマッカーで、たとえ腐れ林檎と関わりなくても、ノータリンだわね。
 だからさあ、まえまえから圧倒的にマッカーはダメなんだって、ずうううううっと言ってるじゃん。
 ……そうか。96年からだから、かれこれ足掛け6年か。
 本意ではないが、老舗とか言われてもしゃあないなあ。
 
ごあいさつ   
 97年の正月に書いた(とっても古く、しかもすでに公開していないレアな)文章を引用します。

能力の問題
 多いであろうと思われるのは、まわりがマッカーばかりで、マッカーになるべくしてなったように見える場合です。出版社の人間、印刷関連の人間、デザイン関連の人間、広告関連の人間、音楽関連の人間、などが、そういった場合でしょう。ところが、当然のごとく、選択肢として与えられているものを無視してマッカーとなったということは、その段階で、何の職業上の理性的判断力も発揮しなかったということです。これは、能力の問題です。
 たとえば、出版・印刷関連業界に限って言えば、紙に印刷するためのプロセスとして、PostScriptとLaserWriterを採用し、印刷屋の仕事を出版社がワザワザ肩代わりしてやっているに過ぎません。だから、あれは、単なるポストスクリプト・マシンです。多目的に多様な機能を果たすのが、コンピュータであって、すでにして印刷間連業界におけるMacなどコンピュータではありえません。
 それを、まるでコンピュータであるかのように思い込み、採用するのは、完璧に「理性的判断力を欠いた行為」です。それすら、できなかった、というのが「能力」の問題である所以です。
 他の分野の場合も、同様です。

 引用した理由は、わかる人にはわかるでしょうから説明しません。そんなもんです。たまにゃあいいでしょ。「老舗」の余裕ですわ。がはは。
 そうそう。再開を告知したとたん、いろんな方からメールを頂きました。感謝します。「あんたヒマなの?」と思わないでもないのですが、もともと「オマエが言うな」状態ですから、いちいち返礼をしたりはしませんが、とりあえず、サンクスアロットです。でもねえ、思ってる以上に、「マック使ってる連中」は、「差別されてしかるべき存在」として扱われるようになってますぜ、だんな。いいことですね、いやほんと。もっともっと、息のめを止めてさしあげましょうかね。だって、目障りなバカなんだもん。
 
 まだ、今期のテーマは見つかっていないというのが本音なんだけど、それもこれも、やってくるメールとかを見ながら考えましょうかね。
 ま、そういうわけで、「ぼこぼこにしたろうぜ!」。
 
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